本ページは、繊維製品の遠赤外線放射特性評価に用いられるFT-IR(フーリエ変換赤外分光)法について、測定方法上の技術的な限界を整理したものです。 特定の検査機関・試験方法・製品の評価を目的とするものではなく、業界の品質管理担当者や会員企業が試験報告書の数値を適切に読み解くための参考情報として提供します。 引用した自主基準等の一次資料については、原文を併せてご確認いただくことをお勧めします。
遠赤外線を放射する機能性繊維製品の評価において、FT-IR法による「分光放射率測定」が広く用いられています。 しかし、この測定手法には繊維という試料の物理的性質に起因する構造的な限界があり、反射率測定の精度を高める積分球アクセサリを用いても、その多くは解消されません。 本ページは、業界各社の品質管理担当者が試験報告書の数値を適切に評価できるよう、FT-IR法の測定原理と限界を整理し、注意すべき点を解説することを目的としています。
FT-IR法による分光放射率測定は、以下の3段階で構成されます。
すなわちFT-IR法は放射率を直接測定しているのではなく、反射率・透過率の実測値にキルヒホッフの法則という理論的な橋渡しを適用することで、間接的に放射率を導出する手法です。 この間接性そのものは物理学的に妥当な手法ですが、前提となる反射率・透過率の実測精度と、熱平衡条件の担保に、結果の信頼性が強く依存します。
反射率測定用アクセサリには、鏡面反射のみを検出する「正反射アクセサリ」と、あらゆる方向の反射光を集める「積分球」があります。 繊維表面は糸の凹凸や織り目により光を拡散的に反射するため、正反射アクセサリでは反射光の多くを取りこぼし、反射率を過小評価(結果として放射率を過大評価)しやすくなります。 積分球の使用は、この拡散反射の取りこぼしという特定の誤差要因を軽減する点で有効です。
しかし、繊維という試料が抱える不確実性の要因は拡散反射だけではありません。次章に示す要因は、積分球を用いても解消されません。
| 要因 | 内容 | 積分球による解消可否 |
|---|---|---|
| 厚み・密度の不均一性 | 織り方・編み方・密度により生地内で透過率にばらつきが生じます。空隙率の高い構造では光が乱反射しながら通過するため、再現性のある透過率値を得ること自体が難しくなります。 | 解消されない(透過測定側の問題) |
| 温度の不均一性 | 繊維は空気を多く含む断熱的構造のため、測定推奨温度域(40〜60℃)での均一加熱・維持が難しく、厚み方向に温度勾配が生じると、キルヒホッフの法則が前提とする熱平衡状態が崩れます。 | 解消されない(加熱系の問題) |
| 異方性 | 経糸・緯糸の構造により、光学的性質が測定方向によって異なります。試料の置き方次第で数値が変動しえます。 | 解消されない(試料構造の問題) |
| 吸湿性 | 繊維は環境湿度を吸放湿する性質を持ち、水分子の赤外吸収帯(2.7μm、6μm付近)が測定値に混入します。素材固有の放射特性と、含んでいる水分の影響が分離できません。 | 解消されない(試料の化学的性質の問題) |
| 試験対象設計の問題 | 遠赤外線放射性能を本来担うのは繊維に添加された物質(セラミックス等)であるにもかかわらず、現行の試験は繊維状態(生地)を測定対象としています。織り方・厚み・添加物質の分布・後加工など、添加物質本来の性能とは無関係な変数が数値に介入します。 | 解消されない(試験設計の問題) |
積分球は上記の要因のうち、拡散反射という「検出側」の限界を補うものであり、「試料側」の不均一性(厚み・温度・異方性・吸湿)や「試験設計側」の問題(測定対象の選定)には作用しません。 したがって積分球の使用は測定精度の改善に資するものの、繊維試料でのFT-IR法測定を評価方法として成立させる十分条件にはなりません。
ポリエステル等の合成繊維は、分子構造中に多数の赤外活性な振動モード(C-H、C=O、C-O等)を持つため、無添加の状態でも遠赤外域でおよそ放射率0.85〜0.95程度と、もともと黒体に近い高い値を示します。天然繊維についても同様の傾向があります。
この場合、遠赤外線放射物質を添加したとしても、放射率として上乗せできる余地は理論上小さくなりやすいと考えられます。 添加による上乗せ幅が、前章で述べた測定条件由来のばらつきと同程度、あるいはそれ以下となる可能性があり、この場合FT-IR法で検出された「差」が添加物質の効果を反映しているのか、測定条件のばらつきを拾っているのかを、原理的に区別することが困難になります。
分光放射率は「その波長でどれだけ効率よく電磁波を放射できるか」を示す物性値であり、血行促進等の生理学的な効果を直接証明するものではありません。 放射から皮膚での吸収、温度上昇、血管内皮細胞への刺激に至るまでには複数の変換過程が介在するため、分光放射率の数値の大小のみをもって、最終的な生体作用の大小を主張することはできません。 放射率がほぼゼロに近い場合には放射というメカニズムそのものが働き得ないという意味で、分光放射率は必要条件としての意味を持ちますが、放射率が高いことが直ちに効果の大きさを保証する十分条件とはなりません。
国家計量標準にトレーサブルな認定を有する公的検査機関の多くは、繊維を対象としたFT-IR法による分光放射率試験を受託していないとされます。一方、業界団体系の検査機関の一部ではこれを試験メニューとして提供しています。 この受託状況の違いは、上記で述べた測定の不確実性を、公的機関側が試験の妥当性評価の中で重く見ていることの一つの傍証と考えられます。
※ この受託状況に関する記述は、個別機関名や時期を特定した確認済みの出典に基づくものではありません。対外的に引用される場合は、各機関への確認をお勧めします。
繊維製品の赤外線放射特性試験の根拠として、ISO 19618(Fine ceramics(advanced ceramics, advanced technical ceramics)― Measurement method for normal spectral emissivity using blackbody reference with an FTIR spectrometer)が引用される例があります。 実際、厚生労働省医薬局医療機器審査管理課の事務連絡(令和6年3月25日付)により周知された、一般社団法人日本医療機器工業会「家庭用遠赤外線血行促進用衣自主基準」(令和6年3月11日改正)は、5.3項「赤外線放射特性」においてISO19618:2017を準用する形で試験基準を定めています。この関係性を正確に理解しておくことは、業界にとって重要です。
ISO19618は本来、ファインセラミックス(不透明・低反射性・無機質)を、77℃以上の高温域で、試料の自己放射と黒体炉との直接比較により評価するための規格です。 繊維製品(有機高分子・拡散反射性)を、40℃前後の低温域で、加工品と未加工品の相対比較という形で評価する現行の運用は、対象材料・温度条件・比較方式のいずれにおいてもISO19618が本来規定する要件と一致しません。 この不一致は、規格の準用元である自主基準自体が明記して認めている事実であり、「ISO19618に準拠」という表示をもって試験方法の科学的妥当性が担保されていると理解することは適切ではありません。
以下は、FT-IR法による分光放射率測定を今後の機能性訴求の根拠として採用しないという方針を前提とした提言です。 試験条件の確認や報告書の見方に関する助言ではなく、この試験方法自体を評価の枠組みから外すための行動指針として位置づけています。
新規に機能性訴求の根拠を検討する際は、FT-IR法による分光放射率測定を選定肢に含めないこと
既に保有しているFT-IR法による試験結果は、新たな機能性訴求や表示の根拠として使用しないこと
分光放射率の数値と、血行促進等の生理学的効果の訴求を、同一の根拠として結びつけないこと
機能性の訴求根拠は、血流速度試験等、実使用条件・実生理指標に基づく直接的な評価手法によって確立すること
取引先・委託先がFT-IR法による分光放射率の数値を根拠資料として提示してきた場合は、それを機能性訴求の根拠として受け入れないこと
「ISO19618に準拠」等の表示・訴求がなされている場合は、同規格が本来対象とする材料・温度条件と繊維製品との不一致を理由に、当該訴求の根拠として採用しないこと
FT-IR法による分光放射率測定は、キルヒホッフの法則を介した理論的に妥当な手法ですが、繊維という試料の物理的不均一性(厚み・温度・異方性・吸湿)と試験対象設計上の限界(添加物質ではなく生地状態を測定する点)を内包しており、これらの多くは積分球の使用によっても解消されません。 加えて合成繊維のベースライン放射率が既に高いことから、添加物質による有意な上乗せを本手法で検出すること自体に困難が伴います。
さらに、繊維製品の試験根拠として引用されることのあるISO19618は、本来ファインセラミックスを高温域で評価するための規格であり、対象材料・温度条件・測定原理のいずれにおいても繊維製品の低温域での評価とは一致しません。この不一致は、規格の準用元である自主基準自体が明記して認めている事実です。
これらの限界は、試験結果が試料の準備方法(厚み調整、表面状態、含水率、測定面の選び方等)によって左右される余地が構造的に存在することを意味します。 測定条件の開示が不十分なまま数値のみが一人歩きした場合、当該数値が素材本来の性能を反映したものか、試料調整や測定条件の選択によって生じた差異かを、報告書を受け取る側が区別することは容易ではありません。
以上を踏まえ、業界としては、FT-IR法による分光放射率測定を赤外線放射特性の評価試験として採用しないことが妥当と判断します。 これは測定原理・試料特性に起因する科学的な限界に加え、測定条件によって結果が変動しうるという性質が、業界内における恣意的な数値の作出を防止する観点からも、本手法を評価根拠として用いるべきでない理由となるためです。 機能性訴求の科学的根拠としては、血流速度試験等、実使用条件・実生理指標に基づく直接的な評価手法を用いることが望ましいと考えます。