このページの位置づけについて

本ページは、繊維製品の遠赤外線放射特性評価に用いられるFT-IR(フーリエ変換赤外分光)法について、測定方法上の技術的な限界を整理したものです。 特定の検査機関・試験方法・製品の評価を目的とするものではなく、業界の品質管理担当者や会員企業が試験報告書の数値を適切に読み解くための参考情報として提供します。 引用した自主基準等の一次資料については、原文を併せてご確認いただくことをお勧めします。

INTRODUCTION

はじめに

遠赤外線を放射する機能性繊維製品の評価において、FT-IR法による「分光放射率測定」が広く用いられています。 しかし、この測定手法には繊維という試料の物理的性質に起因する構造的な限界があり、反射率測定の精度を高める積分球アクセサリを用いても、その多くは解消されません。 本ページは、業界各社の品質管理担当者が試験報告書の数値を適切に評価できるよう、FT-IR法の測定原理と限界を整理し、注意すべき点を解説することを目的としています。

MEASUREMENT PRINCIPLE

FT-IR法の測定原理

FT-IR法による分光放射率測定は、以下の3段階で構成されます。

  1. 反射率・透過率の実測 外部赤外光源(グローバーランプ等)を試料に照射し、マイケルソン干渉計で得られた干渉波形をフーリエ変換することで、波長ごとの反射率 R(λ) および透過率 T(λ) を測定します。FT-IRが実際に直接測定しているのは、この反射率と透過率です。
  2. エネルギー保存則による吸収率の算出 入射エネルギーを100とし、反射率・透過率を差し引いた残りを吸収率 A(λ) として算出します。A(λ) = 100 − R(λ) − T(λ)
  3. キルヒホッフの法則による放射率への読み替え 熱平衡状態下では放射率と吸収率が等しい(ε(λ,T) = α(λ,T))というキルヒホッフの法則を適用し、算出した吸収率をそのまま放射率とみなします。

すなわちFT-IR法は放射率を直接測定しているのではなく、反射率・透過率の実測値にキルヒホッフの法則という理論的な橋渡しを適用することで、間接的に放射率を導出する手法です。 この間接性そのものは物理学的に妥当な手法ですが、前提となる反射率・透過率の実測精度と、熱平衡条件の担保に、結果の信頼性が強く依存します。

INTEGRATING SPHERE

積分球によって改善される点・されない点

反射率測定用アクセサリには、鏡面反射のみを検出する「正反射アクセサリ」と、あらゆる方向の反射光を集める「積分球」があります。 繊維表面は糸の凹凸や織り目により光を拡散的に反射するため、正反射アクセサリでは反射光の多くを取りこぼし、反射率を過小評価(結果として放射率を過大評価)しやすくなります。 積分球の使用は、この拡散反射の取りこぼしという特定の誤差要因を軽減する点で有効です。

しかし、繊維という試料が抱える不確実性の要因は拡散反射だけではありません。次章に示す要因は、積分球を用いても解消されません。

STRUCTURAL LIMITS

積分球でも解消されない構造的限界

要因内容積分球による解消可否
厚み・密度の不均一性 織り方・編み方・密度により生地内で透過率にばらつきが生じます。空隙率の高い構造では光が乱反射しながら通過するため、再現性のある透過率値を得ること自体が難しくなります。 解消されない(透過測定側の問題)
温度の不均一性 繊維は空気を多く含む断熱的構造のため、測定推奨温度域(40〜60℃)での均一加熱・維持が難しく、厚み方向に温度勾配が生じると、キルヒホッフの法則が前提とする熱平衡状態が崩れます。 解消されない(加熱系の問題)
異方性 経糸・緯糸の構造により、光学的性質が測定方向によって異なります。試料の置き方次第で数値が変動しえます。 解消されない(試料構造の問題)
吸湿性 繊維は環境湿度を吸放湿する性質を持ち、水分子の赤外吸収帯(2.7μm、6μm付近)が測定値に混入します。素材固有の放射特性と、含んでいる水分の影響が分離できません。 解消されない(試料の化学的性質の問題)
試験対象設計の問題 遠赤外線放射性能を本来担うのは繊維に添加された物質(セラミックス等)であるにもかかわらず、現行の試験は繊維状態(生地)を測定対象としています。織り方・厚み・添加物質の分布・後加工など、添加物質本来の性能とは無関係な変数が数値に介入します。 解消されない(試験設計の問題)

積分球は上記の要因のうち、拡散反射という「検出側」の限界を補うものであり、「試料側」の不均一性(厚み・温度・異方性・吸湿)や「試験設計側」の問題(測定対象の選定)には作用しません。 したがって積分球の使用は測定精度の改善に資するものの、繊維試料でのFT-IR法測定を評価方法として成立させる十分条件にはなりません。

BASELINE EMISSIVITY

ベースライン放射率の問題

ポリエステル等の合成繊維は、分子構造中に多数の赤外活性な振動モード(C-H、C=O、C-O等)を持つため、無添加の状態でも遠赤外域でおよそ放射率0.85〜0.95程度と、もともと黒体に近い高い値を示します。天然繊維についても同様の傾向があります。

この場合、遠赤外線放射物質を添加したとしても、放射率として上乗せできる余地は理論上小さくなりやすいと考えられます。 添加による上乗せ幅が、前章で述べた測定条件由来のばらつきと同程度、あるいはそれ以下となる可能性があり、この場合FT-IR法で検出された「差」が添加物質の効果を反映しているのか、測定条件のばらつきを拾っているのかを、原理的に区別することが困難になります。

測定対象と訴求内容のスケール不一致

分光放射率は「その波長でどれだけ効率よく電磁波を放射できるか」を示す物性値であり、血行促進等の生理学的な効果を直接証明するものではありません。 放射から皮膚での吸収、温度上昇、血管内皮細胞への刺激に至るまでには複数の変換過程が介在するため、分光放射率の数値の大小のみをもって、最終的な生体作用の大小を主張することはできません。 放射率がほぼゼロに近い場合には放射というメカニズムそのものが働き得ないという意味で、分光放射率は必要条件としての意味を持ちますが、放射率が高いことが直ちに効果の大きさを保証する十分条件とはなりません。

ACCREDITATION STATUS

公的認定機関における受託状況

国家計量標準にトレーサブルな認定を有する公的検査機関の多くは、繊維を対象としたFT-IR法による分光放射率試験を受託していないとされます。一方、業界団体系の検査機関の一部ではこれを試験メニューとして提供しています。 この受託状況の違いは、上記で述べた測定の不確実性を、公的機関側が試験の妥当性評価の中で重く見ていることの一つの傍証と考えられます。

※ この受託状況に関する記述は、個別機関名や時期を特定した確認済みの出典に基づくものではありません。対外的に引用される場合は、各機関への確認をお勧めします。

ISO 19618

ISO 19618との関係整理

繊維製品の赤外線放射特性試験の根拠として、ISO 19618(Fine ceramics(advanced ceramics, advanced technical ceramics)― Measurement method for normal spectral emissivity using blackbody reference with an FTIR spectrometer)が引用される例があります。 実際、厚生労働省医薬局医療機器審査管理課の事務連絡(令和6年3月25日付)により周知された、一般社団法人日本医療機器工業会「家庭用遠赤外線血行促進用衣自主基準」(令和6年3月11日改正)は、5.3項「赤外線放射特性」においてISO19618:2017を準用する形で試験基準を定めています。この関係性を正確に理解しておくことは、業界にとって重要です。

ISO 19618の適用対象
ISO 19618はISO/TC 206(Fine ceramics)が策定した規格で、規定上の適用対象は「不透明かつ低反射性(opaque and highly non-reflective)」のファインセラミックス、セラミックス基複合材料、及び連続繊維強化セラミックス基複合材料(無機質のセラミックス繊維であり、有機高分子繊維とは異なる)に限定されています。適用波長は1.67〜25μm、適用温度範囲は約350K〜1100K(約77℃〜827℃)です。
ISO 19618の測定原理
外部赤外光源で反射率・透過率を測定する方式ではなく、試料自体を加熱し、試料表面が発する赤外放射スペクトルをFTIRで直接測定し、同一温度に保たれた黒体炉の放射スペクトルと直接比較して放射率を算出する方式です。 放射エネルギーが絶対温度の4乗に比例するというシュテファン=ボルツマンの法則により、十分なS/N比を確保するためには高温域での測定が必要となります。これが同規格の適用温度範囲が77℃以上とされている技術的背景と考えられます。
自主基準における準用の位置づけ
前掲の自主基準は、5.3項の附記において「上記のISO19618に基づく試験は、本来、繊維製品に適用することを目的とした試験方法ではないことから、今後、公定規格等において遠赤外線衣類に適した赤外線放射特性に係る新たな評価方法が整備された場合には、本基準を改正し、当該試験方法として公定規格等に採用された新たな評価方法を追加するものとする。」と明記しています(家庭用遠赤外線血行促進用衣自主基準 5.3項附記)。 すなわち、自主基準の策定主体である日本医療機器工業会自身が、ISO19618は繊維製品向けに設計された試験方法ではないことを公式に認めた上で、暫定的な代用として「準用」する扱いとし、将来的な置き換えを予定していることを明記しています。「適用」ではなく「準用」という語が用いられている点も、対象材料の不一致を踏まえた表現と考えられます。
準用における運用条件との乖離
同自主基準は、ISO19618の準用にあたり試料加温温度を「40℃以上」と定めています。しかしISO19618自体が規定する適用温度範囲は約77℃〜827℃であり、40℃はこの範囲を大きく下回ります。繊維は高温(77℃以上)での加熱により溶融・劣化するため、規格が本来求める温度条件を満たすこと自体が繊維試料では実務上困難であるという、構造的な制約が背景にあると考えられます。 加えて同自主基準は、ISO19618が本来定める「試料と黒体炉との絶対比較による放射率算出」という手順ではなく、「加工品と未加工品(対照試料)との相対比較(全放射率で5%以上の増加)」という、独自に組み替えた運用基準を採用しています。

まとめ:材料・温度条件・比較方式のいずれも一致しない

ISO19618は本来、ファインセラミックス(不透明・低反射性・無機質)を、77℃以上の高温域で、試料の自己放射と黒体炉との直接比較により評価するための規格です。 繊維製品(有機高分子・拡散反射性)を、40℃前後の低温域で、加工品と未加工品の相対比較という形で評価する現行の運用は、対象材料・温度条件・比較方式のいずれにおいてもISO19618が本来規定する要件と一致しません。 この不一致は、規格の準用元である自主基準自体が明記して認めている事実であり、「ISO19618に準拠」という表示をもって試験方法の科学的妥当性が担保されていると理解することは適切ではありません。

RECOMMENDATIONS

品質管理担当者への提言

以下は、FT-IR法による分光放射率測定を今後の機能性訴求の根拠として採用しないという方針を前提とした提言です。 試験条件の確認や報告書の見方に関する助言ではなく、この試験方法自体を評価の枠組みから外すための行動指針として位置づけています。

新規に機能性訴求の根拠を検討する際は、FT-IR法による分光放射率測定を選定肢に含めないこと

既に保有しているFT-IR法による試験結果は、新たな機能性訴求や表示の根拠として使用しないこと

分光放射率の数値と、血行促進等の生理学的効果の訴求を、同一の根拠として結びつけないこと

機能性の訴求根拠は、血流速度試験等、実使用条件・実生理指標に基づく直接的な評価手法によって確立すること

取引先・委託先がFT-IR法による分光放射率の数値を根拠資料として提示してきた場合は、それを機能性訴求の根拠として受け入れないこと

「ISO19618に準拠」等の表示・訴求がなされている場合は、同規格が本来対象とする材料・温度条件と繊維製品との不一致を理由に、当該訴求の根拠として採用しないこと

SUMMARY

まとめ

FT-IR法による分光放射率測定は、キルヒホッフの法則を介した理論的に妥当な手法ですが、繊維という試料の物理的不均一性(厚み・温度・異方性・吸湿)と試験対象設計上の限界(添加物質ではなく生地状態を測定する点)を内包しており、これらの多くは積分球の使用によっても解消されません。 加えて合成繊維のベースライン放射率が既に高いことから、添加物質による有意な上乗せを本手法で検出すること自体に困難が伴います。

さらに、繊維製品の試験根拠として引用されることのあるISO19618は、本来ファインセラミックスを高温域で評価するための規格であり、対象材料・温度条件・測定原理のいずれにおいても繊維製品の低温域での評価とは一致しません。この不一致は、規格の準用元である自主基準自体が明記して認めている事実です。

これらの限界は、試験結果が試料の準備方法(厚み調整、表面状態、含水率、測定面の選び方等)によって左右される余地が構造的に存在することを意味します。 測定条件の開示が不十分なまま数値のみが一人歩きした場合、当該数値が素材本来の性能を反映したものか、試料調整や測定条件の選択によって生じた差異かを、報告書を受け取る側が区別することは容易ではありません。

以上を踏まえ、業界としては、FT-IR法による分光放射率測定を赤外線放射特性の評価試験として採用しないことが妥当と判断します。 これは測定原理・試料特性に起因する科学的な限界に加え、測定条件によって結果が変動しうるという性質が、業界内における恣意的な数値の作出を防止する観点からも、本手法を評価根拠として用いるべきでない理由となるためです。 機能性訴求の科学的根拠としては、血流速度試験等、実使用条件・実生理指標に基づく直接的な評価手法を用いることが望ましいと考えます。

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